日曜祭日専門のアマチュア山岳、風景写真愛好者。所属サークルなし。
●1976年 高校時代、35ミリカメラでの風景撮影に限界を感じ、中版カメラのマミヤプレスを使い始める。
●1983年 ブロニカGS-1を使い始める。交換レンズと三脚を含むカメラ機材の重量が増え、背負うザックが肩に食い込む。
この頃から"交通機関を降りたらすべて自らの手足で"を基本に単独でカメラ、食料、テント等を背負い、南アルプス北部程度の冬山にも挑戦。登山口までの交通手段は、出来る限り公共交通機関を利用。自然を楽しむため環境負荷を最小限にする努力をしていた。
●1988年 ビューカメラのピントグラスに映るキラキラした風景に魅力を感じ、ホースマンVHを使い始める。これで、ある程度の大判カメラ用レンズが使えるようになり、パンフォーカス目的のアオリも出来るようになった。
●1991年 風景写真の王道、4x5カメラのホースマン45FAに移行。ビューカメラでは撮影に要する時間が増えて歩行時間が少なくなり、一日に多くの場所を巡ることは出来ない。そして、フィルムが高価だからチョットぐらいの景色ではシャッターを切れない。鮮やかな色彩ばかり追い求めた結果、一枚も撮影することなく下山してしまうようなこともあった。結局後で考えてみれば4x5カメラを使いこなせていなかったし、風景の切り取り技術も未熟だったと思う。
●1999年 突然、職業由来の腰痛を患い体力低下と体調不良の毎日に。当然、重い荷物を背負っての登山は不可能になってしまった。
●2000年 デジカメ(SONY DSC-S70)を使用。300万画素コンデジが10万円もした時代だったが、これならフィルムカメラの代わりになると思った。パソコンも大容量HDDで低価格化が進み、画像データを容易に扱えるようになってきた。4x5撮影時には一枚に最低でも5~10分かけて一発勝負的に撮っていたのが、バカバカ撮ってドンドン削除!フィルム時代とは写真の撮り方が全く変わる。
●2001年 購入したMINOLTA DIMAGE7(UG)は、当初バッテリーの持ちが最悪だったが、充電池が高性能化していったおかげで全く問題がなくなった。画質はそこそこで、良く撮れる・・・と思っていたが、JPEG撮影した画像と一眼デジカメ画像を比較すると、はるかに見劣りする。もう買い換えか。と、そんなとき知ったのがRAW現像ソフトSILKYPIX。気になっていたノイズがウソのように消え、カメラまかせでは偏っていたホワイトバランスも、あとで自由に調整出来る。おかげで撮影枚数も少なくて済む。純正品が使用不可だったワイコンも、RAYNOX製で可能になった。
●2002年 繰り返す腰痛で、2年半の間、もう一生登山は出来ないだろうと思っていた頃、今まで見向きもしなかった滝や渓谷の魅力を知り、簡単に行ける渓谷や滝巡りを中心に歩き始める。
●2006年 価格が安くなったSONY DSC-R1をやっと購入。レンズ一体24-120mm(35mm換算)は通常の撮影には十分で、レンズ交換出来なくても苦にならない。三脚を使う風景写真には手ぶれ補正も不要。ほぼAPSサイズで画質が良くハイライトの白飛びが少ないので、とりあえず一眼デジカメは必要ない。このDSC-R1の形態(EVF、ミラーレス、バリアングル液晶モニター)こそが、純粋なデジカメとして進化してゆける方向ではないかと思っているが、もはやSONYから後継機が出ないのは非常に残念。
以前は利用できた夜行列車や早朝の路線バスはすでに廃止され、登山目的地への交通はマイカーが主体となって来た。これにより、電車とバスでは無理な場所へも行けるようになった反面、環境負荷の問題が大きくなってしまった・・・
●2015年 10年近く、不満はありながらもDSC-R1を使い続ける。不具合も出てきたし電器製品としては限界なので何とかしたいが、R1の特長を継承するカメラが見当たらない。現在では2400万画素機が主流になっているが、単に画像が大きくなるだけで全く魅力を感じない。
●2016年 1600万画素の中古ミラーレス機、SONY NEX-6とE1670ズームを購入。R1に比べて非常に小型軽量、ダイナミックレンジが広い、液晶モニターやEVF像が大きい等、とても良いところがある反面、リモートレリーズ未対応(2秒セルフで代用)、レンズ一体型では起こらなかったレンズ後端のゴミ問題、広角時に絞りf11以上にするとレンズ後端ゴミがシミの様に写り込む(f8までしか絞らないことで対応)、バリアングルモニターでないため縦位置アングルの制約(これはどうにもならない)、高価な1670ズームレンズの性能があまり良くない等、撮影結果に大きく影響するマイナス点も多い。後に購入した1018ズームは、周辺光量落ちは気になるが、軽量コンパクトで便利に使える。これで今まで出来なかった表現が可能になった。
●2018年 RAW現像のフリーソフト Raw Therapeeを、本格的に使い始める。以前から試用してはいたが、やっと慣れてきた。露出とホワイトバランス調整だけが上手く出来れば、良い仕上がりが期待できる。動作が重い(らしい)ところは、無料だから気にしない。フルサイズミラーレス市場が騒がしくなってきたが、高価だから購入候補にならない。高いカメラを買う前に撮影とRAW現像の技術を磨かなければ、宝の持ち腐れになってしまう。
約18年出来なかった、山小屋に泊まっての山行を再開。
●2019年 中古で買ったNEX-6が早くも不調に!時々シャッターがフリーズする。仕方がないので型落ちで安価になったα6300を購入。NEX-6より更にダイナミックレンジが広くなり、不安定だった露出も正確になった。この機種は熱暴走がよく言われていたが、動画は撮らないのでたぶん関係ないと思う。
すべての画像をSILKYPIXから Raw Therapeeで現像したものに置き換え完了。2000枚以上画像があったから、物凄い時間がかかってしまった。
●2020年 新型コロナウィルス蔓延という、とんでもない状況になってしまった。当然山へ行く機会は激減し、残り少ない行動可能年数も減ってしまう。それでも平日の日帰りや、車中泊で現地の買い物なし、場合によってはトイレも車内ポータブルで済ませる等、徹底的に他人に近付くことを排除して日帰りハシゴ登山をする。山小屋に泊まるのを控えると、魅力がある高い山には登れない。泊まらないと山小屋の経営が成り立たないし、登山道も荒廃するかもしれない。県をまたぐ移動を控えるように言われると、千葉での登山は壊滅的!やはり家で自粛しているしかないのか。
●2021年 オリンピックが終わっても、新型コロナウィルスの蔓延は終わらない。スーパーマーケットへ行っても恐怖を感じる程の人出で、みんな恐れることを忘れ去った。
去年の始めには山岳関係団体やYAMAP等から、“山は逃げないから登山を控えて”といったメッセージを多く見かけたが、今ではそんな言葉も無くなった。医療がひっ迫している状態で山へ行き、遭難やケガをしたら大変なことになってしまうから、言わなくても登山は控えるのが当たり前だからだろうか。確かに山は逃げないが、60過ぎた年寄りは体力が衰えて行けなくなるから、事実上どんどん山は逃げていく。100%安全は有り得ないけど、出来るだけ安全な場所へ他人と接しないように行くこともダメだろうか?
行きたい気持ちと我慢の気持ちが交錯する毎日が続く。恐らく来年も再来年も、ずっとこんな状態が続くんだろう!
●撮影に際しての永年の思いは、“誰もがそこに行ってみたくなるような写真”を撮ること。しかし、才能や体力、気力が無い自分には難しい。健康で体力が無ければ山なんか登れないし、それを考えればもうそれほど多い年数ではないだろう。それでもギリギリまで、自分流の写し方を変えずに撮りたいものを追って生きたいと思う。
▼制作全般
●Raw Therapee(Free)でRAW現像
●photoshop Elementsでリサイズ処理
●HeTeMuLu Creator(Free)を使い、HTML手打でHP製作
▼撮影機材
フィルムカメラ
●MAMIYA PRESS SUPER23
65mm/100mm/150mm/250mm
●BRONICA GS-1
65mm/100mm/150mm/200mm/250mm
●FUJI GS645S
●FUJI GA645Zi
●HOSEMAN VH ●HOSEMAN 45FA
65mm/75mm/90mm/105mm/125mm/
150mm/200mm/210mm/300mm
デジタルカメラ
●MINOLTA DIMAGE 7 (UG)
RAYNOX MDR-079PRO (WIDE CONVERSION LENS)
●SONY DSC-R1
●PANASONIC DMC-LX5
●SONY NEX-6
●SONY α6300
16-70mm/10-18mm/30mm
▼使用フィルム
●カラー: フジRD(120)/RDP(120,4X5)/
RFP(120)/RVP(120,4X5)、
コダックPKR(120)
●モノクロ: フジネオパンF/SS(120)、さくら赤外750(120)
▼フィルムスキャン
●EPSON GT-X900